いくつかカウンセリングの研修会に出ているのですが、昨日は、月一でやっているカウンセリング研修会でした。
研修の中心にあるのは、ロールプレイです。研修参加者で、カウンセラー役とクライエント役に分かれて5分間の模擬面接をやるわけです。
面接が終わったら、コーチを囲んでそれを題材にみんなで検討します。主訴は何だったのか。主訴とは、その話でクラエイント役の人が一番伝えたかった気持ちのことです。そしてその主訴に対して、どういった「関わり」、業界用語的に言うと、「介入」ができるのか、そういったものをみんなで出し合って検討するのです。単なる傾聴なら聴いているだけでもいいのですが、カウンセリングとなると、プラスそのクライエントの気持ちに応えて関わっていかなければならないわけです。
わたしも、毎回、主訴と自分ならどう関わるかを発表します。今回も主訴をしっかりキャッチしよう臨んだのですが、結果として微妙にずれてしまいました。わたしは「あきれた思い」が主訴だと思ったのですが、コーチや話した本人の話では、一番つよい気持ちは「怒り」だったのです。まずここで主訴を取り損なうという大きな失敗をおかしてしまいました。
また、どう関わるかというところでも、主訴がきちんととらえられていないので、なんだか的外れな関わりになってしまいました。
うーん、残念でした。
それでコーチに聞きました、どうしてわたしは、クライエント役の方の話の中にあった怒りの感情をキャッチできなかったかと、そしてどうしたらそれができるようになるのか、と。
それに対して、コーチは、次のように言われました。
「下村さん自身が、自分の怒りの感情をキャッチできていない、きちんと触れることができていなからじゃないかしら。自分の怒りの感情をきちんと触れることができなければ、話し手の怒りの感情に触れることもできません」
ああ、そうかあ、と思いました。確かにわたし自身が、トラウマの体験を通して、怒りにふたをしてしまっているようなところがあるかもしれないと感じました。
自分の怒りに触れる、それがわたし自身の、そしてカウンセラーとしての課題なのではないかと思いいたった次第です。
この課題に取り組むために、まずは日々の生活の中で、自分の怒りの感情を見つめていかなければと思いますし、必要ならばわたし自身が再度カウンセリングを受ける必要があるとも感じています。
しかしこれから、そんな当事者カウンセラーのわたしだからこそできるカウンセリングを追求していきたいと思っています。少しでも心の傷ついた人の気持ちに寄り添えるような。