きょうは古代ローマで哲人皇帝と呼ばれた、マルクス・アウレリウス(121-180)の手記『自省録(じせいろく)』の言葉を紹介しますね。
空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。
マルクス・アウレリウスからのお説教
石にとっては、上に投げられて高いところに行こうが、その後下降して地面に落っこちようが、そんなことはなんの問題でもないということ。問題ではないというのは、石の存在そのものは、そんなことでは何も変わらず、上がっても下がっても石であることになんら影響がないということをいっているのです。
ピンと来た人はもうわかっているかもしれませんが、人間を石に見立てて語っているわけです。
平たく言えば、例えばわたしがカウンセリングルームで成功しようが、カウンセリングルームをやっていけなくなろうが、そんなことは、下村順一であること(下村順一の存在)にはなんの関係もないことだと言っているのです。
しかし実際のわたしは、カウンセリングルームが流行って、多くの人に慕われる有名カウンセラーになれたら自分はすごい!とおもってしまうかもしれません。
また実力が伴わずクライエントからも見離され、経営的にも苦しくなって、道半ばで倒れてしまったら、わたしはなんて役に立たない人間なんだと自分に失望して不安にとりつかれてしまうかもしれません。
大事なのは私が私であるということ
しかし、マルクス・アウレリウスは、それらのこと(世間的な意味での成功や失敗)は、下村順一が下村順一であること(下村順一の存在)には何ら影響与えず、それで自分の存在が上がったり下がったりするわけではないというのですね。
マルクス・アウレリウスは人間は「理性的な存在」なのだから、この世の中での成功失敗には構わずに、「理性的な存在者」としてやるべきことをただやればいいのだと言います。
世間的に出世しているからわたしは大したもんだとか、世間的には落ちこぼれてしまったから自分はダメな人間だとか、そういう世の人の主観(人はさしあたり大抵は世の人です)の囚われをズバリ指摘して真を射貫く彼の言葉を見ると、じゅんいちはほっと溜息をついてしまうのです。
空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。
『自省録』にはこんな英知に満ちた言葉がごろごろ転がっています。また機会があればご紹介しますね。ちなみにこの本自体は、岩波文庫で、700円で入手することができまーす。
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