「生き抜く」とは、どんな仕方であろうと生きようとするあり方を表現しており、どんな仕方であれ生きようとすることこそ、現実の「無条件的受容」ということです。
それはたとえおのれの「プライド(自負心)」(※)を手放してでも生き抜こうとする覚悟あるあり方のことです。
(※)プライド(自負心):自分の能力・努力の価値に対する執着心。執着心から差別が生まれ、現実の受容が条件付き・限定的となる。
人間の本質的なあり方
人間の本質は現実を受け入れるところにあります。従って「生き抜くこと」(現実の無条件的受容)は、人間がもっとも本質的なあり方で生きるということ意味しているのです。生き抜くというあり方に到達することが人生の目的すなわち自己実現なのです。
わたしは「生き抜くこと」が手段ではなく、目的になった時、その人固有の人生が開かれると考えます。つまり生き抜くことの意味がその人の中で深く理解され、自覚的にそのあり方(プライドを手放して、現実を無条件的に受容する)を引き受けようとする時、その人独自の唯一無二なる人生が開かれると考えるのです。それはあるがままの自分自身として存在するという「誇り」を伴うものなのです。