今回のコラムのタイトルに対して、じゃあ、何が治療目標なの?!という声が聞こえてきそうです。その答えを宮地尚子さんが『トラウマ』(岩波新書)の中で見事な文章で示されているので、それを一緒に見ていきましょう。それはトラウマの治療の現実的な目標・ゴールということになります。それはきっと医療機関でのトラウマ治療でもカウンセリングによる治療でも共通することのようにおもいます。
もちろん、心の片隅に傷痕や痛みは残り続けることでしょう。起き上がれない日もあれば、誰とも会わずに心を閉ざしておきたいときもあるでしょう。痛みや苦しさをなくすのが目標ではなく、それらを抱えながらも少しずつ生活範囲が広がり、生きる喜びや楽しさを時々でも味わえるようになることが、回復の現実的な目標といえるかもしれません。(『トラウマ』宮地尚子著、岩波新書)
わたしはこれを読んで、うわーまたまた、すごくよく書けているなあ、と感心してしまいました。書き方はとても控えめですが、優しくもあり厳しくもありで、とても現実的なことを書いていると思います。
トラウマの症状は一生残るかもしれない
>心の片隅に傷痕や痛みは残り続けることでしょう。
「トラウマは一生もの」という深い言葉をきいたことがありますが、まずはこれを受け入れるのが大変なんですよね~。
症状は一生残るかもしれないということです。
宮地さんは、一番はじめに隠さず厳しいことを伝えています。
>起き上がれない日もあれば、誰とも会わずに心を閉ざしておきたいときもあるでしょう。
「ああ!そうなんだよなあ、わかるなあ」とわたしのことかという感じで読んでしまいます。なんかとても傷ついている人への優しいまなざしを感じます。
>痛みや苦しさをなくすのが目標ではなく、
これは抵抗を感じるかもしれません。あなたの心情としては、はやく痛みや苦しさを除去して、その後にやりたいことをしたいと思うかもしれません。しかし実は痛みや苦しみは治療を続けて、なくなるかもしれないし、なくならないかもしれない、それが実際のようです。だから症状の除去だけに捕らわれてトラウマ後を生きるのではなくて、症状をもちながらも、同時に「自分を生きる」ことを考えなければならないのだと思います。
それを支援するのが、まさしくカウンセリングにおけるトラウマ治療の中身なのではないかとおもいます。
症状をもちながらも「自分を生きる」とは、症状もひっくるめた自分に起きること全部を自分であると認めて、その自分をあっていいものとしてそのままに受け入れる、肯定していくことなのだとおもいます。
これを一人でやるのは大変なことです、だからこそカウンセラーという支援者があるのだとおもいます。
トラウマ治療の現実的なゴール
>それらを抱えながらも少しずつ生活範囲が広がり、生きる喜びや楽しさを時々でも味わえるようになることが、回復の現実的な目標といえるかもしれません。
まあ、なんて美しい表現なのだ、とうっとりしてしまいます。とてもトラウマ・サバイバーの気持ちに寄り添った書き方をしているように感じました。特に「生きる喜びや楽しさを時々でも味わえる」のところ。「時々でも」というところが味噌ですね。
一般的に言って、人は生きる喜びや楽しさを「時々」味わうのみではないでしょうか。いつも生きる喜びや楽しさを感じている人がいるとしたらそちらのほうが、何か怪しげな薬を飲んでいるとか、病気の疑いがあるのじゃないかしらと思ってしまいます。もしあなたが、自分のトラウマ治療の先に、「いつも楽しい」が待っているのだと思っているのだとすれば、それは思い間違いかもしれません。
時々にでも喜びや楽しさを感じられるというのは、控えめのように聞こえますが、とても素晴らしいことで、そこまでいけばもう十分「人間としての回復」=「幸せ」なところまで来ているのだと思います。だって治療や支援を受ける前のトラウマに打ちひしがれていたあなたはきっと喜びや楽しみとは無縁のところにいるとおもうから。
精神科医は診察の場でこのような治療の現実的なゴールについて、きちんと説明してくれません(わたしの知る限りでは)。毎回、「様子をみましょう」でおわり、いったい何のための診察なのかと思ってしまいます。今日引用させてもらったようなことをきちんと説明してくれる精神科医が主治医なら、わたしだったらすごく信頼感をもてるよなあと思いました。
宮地さんは結論から言っているところがあるので、症状が残るとか言われるとショックを受けてしまう人もいるのかもしれませんが。それでもやっぱりわたしは真実を知りたいと思います。
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