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同じ体験をしても、だれもが同じようにトラウマになったり、PTSDになったりするわけではありません。なぜならその人の気質や性格によって傷つき方の質も深さも違うからです。

 

1970年のベトナム戦争でPTSDが注目されましたが、戦争体験者のすべてがPTSDになったわけではないのです。

 

PTSDになった人とならない人とでは何が違ったのでしょうか?

 

それにはストレスの仕組みを知る必要があります。

 

ストレスの仕組み

 

PTSDもストレス反応の一つです。そして一般にストレスとはストレス反応のことです。

 

ストレス反応を起こすような刺激をストレッサーと呼びます。

 

具体例で言うと、上司のパワハラがストレスで頭が痛いといった場合、「上司のパワハラ」がストレッサーで、「頭が痛い」がストレス反応になるわけです。

 

そしてその間にあるのが、心と体の仕組み、です。

同じ上司の暴言でも、トラウマになる人とならない人がいます。それはストレッサーを受ける人の「心と体の仕組み」が人によって違うからです。

 

心と体の仕組みの肝になるのが、「認知」です。

認知とは、出来事の受け取り方のことで、それによって同じストレッサーであっても、それに対するストレス反応が違ってくるのです。

 

先ほどのパワハラ上司の件でも、暴言を吐かれても、上司のことをつまんないやつだ、相手にするのはよそうとおもえれば、最小限のストレス(反応)で済みます。仕事上がりにお酒とおいしい食事をすれば、ストレス解消して翌日はそのことを忘れているかもしれません。

 

しかし、その上司の暴言に対し、暴言なんて絶対にあってはならない、すごい屈辱だ、という風に受け取ってしまうと、暴言はその人にとってすごく大きなストレッサーになってしまい、そのあと強いストレス反応を生じさせるかもしれません、頭が痛くなるとか、もしかしたら、翌日出勤できないかもしれません。

 

このようにストレス反応、ひいてはトラウマは、この体験をしたから、こんな出来事があったから、かならずなるというものではなく、その時のその人の認知のあり方によって違ってくるということです。

 

トラウマを扱っていくには、一人ひとり違う認知のあり方を、そしてその背景にあるその人の生きてきた人生をていねいにみていくことが必要ではないかと思います。

 

こうしてみると同じトラウマなどというものは一つもないということがわかります。それは同じ人間が一人もいないということと同義でしょう。

 

しかし、そこにこそその人自身の固有の人生が開かれるという可能性もあるのではないかと思います。

 

 

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